1986年入社 J.M

入社の経緯

環境や時代の変化にともなう刺激が成長の原動力

大学時代は心理学を学んでいて、その一環で社会調査にはなじんでいました。なので、マーケティングリサーチの道は、自然な進路だったと言えます。当時京都に住んでいたこともあって、関西を拠点としていて、後にイプソスとなる日本統計調査株式会社に新卒で入社しました。1986年、当時はまだインターネットもありませんから、訪問や電話、郵送が主な調査方法だった時代です。

大阪で13年間、施設開発や店舗展開といった地域に根差したテーマの調査を中心に手がけていたのですが、その後1999年に東京へ転勤しました。この転勤がキャリア上の大きなターニングポイントになりました。というのも、東京は大阪に比べてメーカーのクライアントが多く、これまでとは違う「製品開発」や「市場理解」、「ブランド戦略」といったテーマの調査が求められるようになったためです。さらに会社のグローバル化という大きな変化も伴い、合わせて新鮮な刺激を受けながら、キャリアを積むことができました。そして、徐々にマネジメントの比重が高まり、現在は管理職を務めています。

J.M

現在の仕事とやりがい

これからのイプソスを担う、高付加価値人材を育てる

管理職という仕事には正解がありません。そういう意味でも、まだ自分自身完璧にこなせているとは思えませんが、一つだけ言えることがあるとすれば、常にこれからのイプソスを見据えたうえで、次代を担う人材を育てていくことが私のミッションだということ。

この10数年で、オンライン専業の調査会社が新しいビジネスモデルを武器に伸び、定着してきました。彼らはオンラインシステム開発力のメリットを生かし、コスト面でもスピード面でも根本的に考え方が異なるため、私たちはよりいっそうの付加価値でもってクライアントへ提案していく必要があります。

その付加価値作りができる人材をどう育てていくか、そして、いかに社内外に刺激を与えうる多様な人材を獲得していくかが肝心です。社内にいろいろな人がいて、その人に合った役割があって、そこで最高のパフォーマンスを発揮する、そんなダイバーシティマネジメントでもってイプソスとしての競争優位を生み出していくのです。

J.M

イプソスで働くということ

クライアントの課題解決パートナーであれ

私自身の経験を振り返っても、リサーチャーはおもしろい仕事だと感じます。はまる人は現場が楽しすぎてついついどこまでも追求してしまうくらいですから。だからこそ、データ収集、分析という手段どっぷりになりすぎず、クライアントの利益貢献という目的を見据え続けなければなりません。

たとえば、企画書にしても客観性を重視するあまり一線を引いて他人事になってしまうのではなく、主体的に提言していくべきなのです。データを用意して「こんな結果出ましたけどどうしますか?」では、お客様は不安になります。問題解決のパートナーとして対等な立場で市場のスペシャリストとしての意見が求められているのですから。

逆に言えば、クライアントの利益に貢献するという一点さえ損なわなければ、イプソスはタブーも制約もない自由な環境だと言えます。さらにグローバルのネットワークも、ノウハウも、ツールもいくらでもあります。そして、良い提案であれば世界的なビッグクライアントでさえも話に乗ってきます。そう、イプソスをどう使いこなすかは、すべてあなた次第なのです。

J.M

応募者へのメッセージ

ともに会社作りを楽しもう

たいていの仕事というものは、イレギュラー対応が半分以上を占め、計画通りにいかないものです。つまり、杓子定規ではなく臨機応変な対応が、仕事ができるできないの分かれ目になります。その際、受け身な姿勢では後手後手になってしまいますから、周囲に刺激を与えるくらい主体的に動いてくれることを期待しています。今はイプソスにとっても勝負のステージ。ともに新しいイプソスを担う人材を求めているのでなおさらです。フットワークでも、テクノロジーでも、専門知識でも、何かしらの武器を磨いて、ともに会社作りを楽しんでいきましょう。